2010年12月12日日曜日

Sapporo UniFesについて

みなさんこんばんは。

今回はSapporo UniFesについて書こうかなと思う。
何を書くかといえば、私のユニフェスに対する想い。
何故書こうと思い立ったかといえば、今年の総務えのちゃんの記事に感銘を受けたから。

まずSapporo UniFesとは何?ってことで簡潔に説明すると、
「札幌近郊のいろんな大学生で開催する、大きな大学祭。」
ということで、札幌大通公園で今年の10月23、24日に第一回が開催されました。

こんな適当な説明だとみんなに怒られるかしら笑。
でも書きたいのはUniFesの説明じゃないので、もっと知りたい人はUniFes公式サイトを見てみてください。


さて、でね。
私来年の代表をやることになったのですが、実は今年は全くこのUniFesには関わってません。
正確に言うと関われなかった。

私はこのUniFesというもの(当初は合同大学祭って名前だった。)をずっとやりたくて、最初は所属していた学生団体で企画。
それでうまくいかなくても諦められなくて、えのちゃんが興味を持ってくれて一緒に頑張ってはいたのだけれど、お互い忙しくて座礁していた時期にUniFesの代表のまさきと出会ったのです。
じゃあ一緒に頑張ろうかー!ってまさきを代表に担いで、私とえのちゃんで総務やることが決まった。

それで私とえのちゃんが予定していた2011年の5月開催の時期とは大きく早まった、2010年の10月に開催することが内々で決まったのです。

この「時期」が私が関われなかった一番大きな理由です。
私は10月にもともと所属していた学生団体で集大成になるイベントの開催が決まっていて、それのプロジェクトリーダーとして動いていたから、10月までは正直そっちを優先しなければならなかった。
この学生団体で私は2年間活動をしていて、10月のイベントを堺に引退をすることを決めていたから中途半端な気持ちで臨むことができなかった。
でも、ユニフェスは私がこの学生団体に入ったきっかけで、絶対に絶対にやりたいものだった。

正直、ものすごく悩んだ。両立をしたくて。どっちもやりたくて。
でも、もう手が回らなくて周りに迷惑もかけ始めてしまってたから、これ以上は無理だって痛感してた。あの時期は心が痛かったなあ。

実は本当に悩んでひとりじゃ解決できなくてさ、教授に相談までしたの 笑。

それで決めた結論が、
「Sapporo UniFes 2010の総務から降りること」

えのとまさきに謝って、「絶対成功させてほしい」ってすごく自分勝手なことを言って総務を降りた。

その後のえのの辛さとか、フラストレーションとかを一心に感じながら、絶対に手を出さなかった。
えのには本当にごめんなさい。

手を出さなかったのは、出したらきっとのめり込んじゃって自分が潰れると思ったから。
中途半端に関われない。気持ち的に絶対無理!って自分でわかってたので。

どんなにえのに怒られても、表面上ふらふら〜ってかわしてた。
真剣に悩みなんて聞いた日にはやりたくなっちゃうから、話も聞かないようにしてた。

それで、最後の方はもうね、私我慢できずにひとつのコンテンツだけ参加しちゃったんだけど。
それでさ、ものすごく悔しくなっちゃって。

なんでここにいられなかったのかって。
悔しいーーー!って。

私もみんなで一緒に頑張りたいのに!って。
お客さんじゃないのに!って。

それで「来年はやる」って決めた。

えのは、当日嬉しくて、最高だった。って言ってた。

私も、UniFesが開催されてるのを見たときに最強に嬉しくて泣いた。
それと同時に悔しくても泣いてた。

やりきったって言えない自分にちょっとの憤りも感じてた。

だから、今度はやりきったって言えるような関わり方をしたいって心から思ってるんだ。

今年、本当に良いメンバーだったと思う。
羨ましいぜ!

えのとまさきと、そして祥子さん。
あとねえ、個人的にはたくにも。
尊敬してる。って言いたい。

そんで、来年は絶対もっと良いもの作るって宣言しとくね。
2011年も良いメンバーだって言ってやるし!

このUniFesに対する想いは、誰よりも強いって言えるかも。
UniFes2010に対する想いは負けるかもしれないけどね笑。

1 件のコメント:

  1. 真澄の「熱」をみんなに伝えて、いい2011の代にしてね。

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